九州考古学の先駆者
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  なかやまへいじろう
 中山平次郎
 1871年、京都市生まれ。東京帝国大学医学科を卒業ののち、東京帝大助手をへて、1906年京都帝国大学福岡医科大学(現在の九州大学医学部)教授。1931年、九州帝大教授辞任。九州帝大名誉教授。1950年西日本文化賞受賞。医学博士。
 病理学者でしたが、歴史学・考古学の研究を始め、1912年(41歳)から続々と論文を発表しました。発掘調査は行わず、丹念な踏査と表面採集に基づいて遺跡・遺物を研究しました。弥生時代関係では、石器時代遺物とされていた弥生土器と古墳時代遺物とされていた青銅器や鉄器が伴う事実から、「先史原史両時代中間期間」(今日でいう弥生時代)を設定しました。福岡市今山遺跡で石斧製造所、飯塚市立岩遺跡で石庖丁製造所を発見し、それぞれの製作工程を考察し、製品の広範な分布から専業者や分業・交易の存在を推定し、石器の生産と流通の研究の基礎を築きました。また、春日市須玖岡本遺跡(奴国王墓)の出土遺物、福岡市志賀島出土金印の出土地点・出土遺構、漢〜六朝の中国鏡などを研究し、政治的中心の北部九州から近畿への移動を唱えました。古代関係では、瓦 類、古代・中世の博多、元寇防塁などを研究し、とくに鴻臚館の所在地を、遣新羅使の歌(万葉集)の解釈、福岡城跡で出土する陶磁器や瓦の分析から福岡城内と推定したのは卓見でした。
作成者:岩永省三(九州大学総合研究博物館)
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