九州考古学の先駆者
1-4
 みずのせいいち
 水野清一(1905〜1971)
 兵庫県生まれ。京都帝国大学文学部卒。東方文化研究所(東方文化学院京都研究所)研究員、京都大学人文科学研究所研究員を経て、1949年京都大学人文科学研究所教授、1968年退官。文学博士。

 戦前には中国山西省大同の雲岡石窟(1924)、河南省洛陽龍門の仏教石窟寺院(1936)などの仏教遺跡の調査を行いました。また、戦後、1959年以降イラン、パキスタン、アフガニスタンなどの諸地域において仏教遺跡の調査を計7回行い、仏教伝来の道を明らかにしました。
 このように戦前から戦後にかけて海外の仏教遺跡の調査を精力的に行いましたが、敗戦直後は海外調査が困難であったことから、東亞考古学会による調査団の中心メンバーとして、『魏志』倭人伝のルート解明のため日本国内で大陸に最も近い対馬の調査を行いました。その後も、壱岐・原の辻遺跡及び唐津・宇木汲田遺跡などの調査を行い、それまで文献研究が盛んであった『魏志』倭人伝の道について、考古学的調査による研究の端緒を開きました。
作成者:石川健(九州大学大学院比較社会文化研究院)
フレームが表示されていない場合はこちら