九州考古学の先駆者
1-5
 かがみやま たけし
 鏡山 猛(1908〜1984)
 1908年、福岡県生まれ。旧制福岡高等学校卒業後、1929年に九州大学に入学。以来一貫して九州大学の考古学を育て、1958年九州大学考古学講座の初代教授となり、1972年、九州大学を定年退官。九州大学名誉教授。
 
 鏡山氏の学問世界は、卒業論文(『西都条坊攷』)以来生涯のテーマとした大宰府研究・神籠石研究を中心とした歴史考古学の研究、墓と集落の分析から追求した弥生時代社会の研究、登呂遺跡調査への参加に触発されての水田と古代条里制の研究、縄文時代晩期から弥生時代開始期の土器にみとめられる布目様圧痕の正体を追求した織物の起源の研究、などへと広がっています。
 これらの研究のほとんどは、鏡山氏自身が実施された発掘調査の成果から立ち上げられたもので、なかでも、1938年、福岡市の比恵遺跡で森貞次郎氏とともに調査した環溝住居跡の分析と、やはり自身で調査した福岡県瀬高町鉾田甕棺墓地の分析などを総合して組み立てられた弥生時代集団の研究は、今日九州大学で推進されている先史社会の復元的研究の基礎を打ち立てた重要なものです。
作成者:溝口孝司(九州大学大学院比較社会文化研究院)
フレームが表示されていない場合はこちら