九州考古学の先駆者
1-7
 おかざきたかし
 岡崎敬(1923〜1990)
 1923年、北海道生まれ。京都帝国大学を卒業ののち、京都大学助手、名古屋大学助教授、九州大学文学部助教授をへて、1972年九州大学文学部教授。1987年、九州大学を定年退官。九州大学名誉教授。1986年、紫綬褒章受章。文学博士。

 東アジア考古学者として、中国考古学からシルクロードの東西交渉史まで、広大な領域に渡る数多くの業績をあげました。
 一方、若き日から東亞考古学会による対馬・壱岐・唐津の調査(1948年〜1957年)に参加し、さらに宇木汲田遺跡など唐津における日仏合同調査(1965・66年)を成功させました。これらの調査とともに、縄文時代から弥生時代の移行期の遺跡である福岡市板付遺跡、福岡市有田遺跡、島原半島原山遺跡などの調査に一貫して携わり、弥生文化がどのようにして生まれたかを、自然科学などの関連諸科学とも連携した幅広い研究から探求しました。 
 とくに、弥生時代の稲作の伝来経路を、中国山東半島付近から、朝鮮半島の中部に達し、やがて南下して朝鮮半島南部を経て北部九州に到達したという学説は有名であり、現在定説となっています。
 また、立岩遺跡などの甕棺墓地から出土する中国漢王朝の鏡などの研究から、弥生時代の年代、中国との交流、当時の社会を明らかにした研究は、弥生時代の始まりに関する研究とともに、今日の弥生時代研究の基礎となっています。
 さらに、沖ノ島遺跡の総合調査を進めることにより、対外交流史の優れた研究を行いました。
作成者:宮本一夫(九州大学大学院人文科学研究院)
フレームが表示されていない場合はこちら