九州考古学の先駆者
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 ながいまさぶみ
 永井昌文(1924〜2001)
 鹿児島県生まれ。九州大学医学部卒。九州大学医学部助手、助教授をへてl970年より九州大学医学部教授。l988年に定年退官。医学博士。

 金関丈夫に師事して解剖学・形質人類学を専攻。金関の退官後もその後を受けて、弥生人を中心に縄文時代から近世に至る大量の人骨を調査収集し、渡来的形質の拡散に地域差が大きいことを明らかにするなど、金関の渡来説を継承発展させました。退官にあたって刊行された『日本民族・文化の生成』は、論文集としてだけでなく、古人骨資料の重要性からも高い評価を得ています。
 考古学にも造詣が深く、弥生時代の貝輪の材料が奄美以南の海に棲息するゴホウラであることを実験によってつきとめ、北部九州を中心とした弥生社会と南西諸島との密接な交流の実態を解明したことはひろく知られています。
作成者:田中良之(九州大学大学院比較社会文化研究院)
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