倭人伝の道
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 北部九州地方は、いわゆる『魏志倭人伝』に記載された、邪馬台国に至る道筋に存在したとされる八つの「国」(狗邪韓国、対馬国、一支国、末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国)のうちの五つ(対馬国から奴国)が、確実に存在したと考えられる地域です。これらはそれぞれ今日の対馬島、壱岐島、唐津平野、糸島平野、福岡平野を中心とする地域にあたると考えられますが、いずれも弥生時代以降の重要遺跡が多く分布する地域です。ちなみに、倭人伝が書き記したのは弥生時代のおわりごろから古墳時代のはじめにかけての様子と考えられています。
 九州大学は、地の利を生かして、これらの地域を中心とする北部九州地方一円をフィールドとした調査と研究を積み重ねてきました。ここにその成果の一端を展示するような調査・研究を基礎として、農耕社会の形成から古代国家への発展の過程、また、その過程のなかで、対外交流がはたした役割などが解明されてきたのです。
作成者:溝口孝司(九州大学大学院比較社会文化研究院)
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