倭人伝の道
2-6末盧国
 おおとも
 大友遺跡
 佐賀県東松浦郡呼子町大友に所在する遺跡。
 佐賀県教育委員会による、1968年から1981年の4次にわたる調査で、弥生時代から古墳時代にかけての墓地であることが判明していました。しかし、山際で1基だけ検出された57号支石墓と他の土坑墓や甕棺墓、石棺墓などとの関係は不明確なままでした。そこで、九州大学考古学研究室を主体として、1999年に5次、2000年に6次発掘調査を行いました。その結果、4次調査で検出されていた57号支石墓の北側に10基の支石墓(しせきぼ)、8基の土坑墓、3基の甕棺墓、2基の石棺墓などが検出されました。遺物には、副葬小壷・甕棺・管玉・貝輪などがあります。この調査によって、4次調査までの墓地と5・6次調査の墓地の関係が判明し、縄文時代晩期終末から古墳時代にわたる墓地の変遷が明らかになりました。また、墓地から出土した人骨は、縄文系の形質であることが分かりました。人骨の安定同位体分析からは、当初漁労活動による海産物に依存していた食生活が、しだいに穀物依存の度合いを高めたことが示唆されました。

大友遺跡遺構配置図
(宮本一夫編2003『佐賀県大友遺跡II』九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室より)
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大友遺跡3号支石墓検出状況
(宮本一夫編2001『佐賀県大友遺跡』九州大学大学院人文科学研究院考古学研究室より)

作成者:パネル作成者:谷直子(九州大学大学院人文科学府)
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