倭人伝の道
2-7末盧国
 うきくんでん
 宇木汲田遺跡
 佐賀県唐津平野南部、夕日山東麓丘陵裾の沖積低地に位置する遺跡。
 縄文時代晩期末〜弥生時代前期の貝塚と弥生時代前期後半〜後期の甕棺墓を中心とします。貝塚は遺跡の北端部にあり、1966年、九州大学とパリ大学を中心とした日仏合同調査によって、縄文時代晩期末の夜臼式土器単純層から炭化米が検出され、稲作が縄文時代に遡る可能性が指摘されました。甕棺墓群については、1930年、耕地整理工事中に甕棺から細形銅剣、細形銅矛、勾玉、管玉が出土したことによって注目を集めるようになり、その後、一連の発掘調査によって150基近い甕棺墓が検出されています。そのうち約3分の1の甕棺から細形銅剣、細形銅戈(か)、細形銅矛(ほこ)、銅釧(くしろ)、硬玉(こうぎょく)製勾玉、碧玉(へきぎょく)製管玉、ガラス製小玉・丸玉などの副葬品が出土し、なかでも、12号甕棺では細形銅剣にともなって多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)が発見されました。1983年の唐津市教育委員会による調査では、銅鐸の舌(ぜつ)や石製把頭飾(つかがしらかざり)などの遺物も出土しています。また、1984年の九州大学による貝塚部分の調査では、夜臼(やうす)式土器単純層から完形台付き鉢や土偶が出土しました。以上のことから、宇木汲田遺跡は、縄文時代晩期末から弥生時代前期にかけての重要な集落遺跡であると同時に、弥生時代中期を主体とする唐津平野の中核的埋葬遺跡であったとの位置づけができます。



多鈕細文鏡
(唐津湾周辺遺跡調査委員会(編)1982『末盧国』より引用)

作成者:重松辰治(九州大学大学院比較社会文化学府)
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