古墳時代の北部九州の諸豪族
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ばんづか |
番塚古墳
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福岡県京都郡苅田町大字尾倉所在。 全長約50mをはかる二段築成の前方後円墳で、1959年と1991年の二度にわたって九州大学考古学研究室を中心として発掘調査が行われました。調査の結果、内部主体は豊前地方における初期の横穴式石室であることが確認され、石室内部には2基の木棺が並置されていたことがわかりました。また出土した須恵器の年代から、追葬(ついそう)が行われたことが確認されています。石室内部は盗掘を受けていなかったため、木棺に伴って銅鏡をはじめ、鉄製武器・武具類、鉄製工具類、馬具、装身具、土器類など数多くの副葬品が出土しました。これらの副葬品の年代から、番塚古墳は5世紀末から6世紀初頭の間に築造されたと考えられます。中でも百済系土器や蟾蜍形飾金具(ひきがえる(せんじょ)がたかざりかなぐ)の出土は、朝鮮半島との密接なつながりを想定させるものといえます。 こうした点において、番塚古墳の被葬者は、畿内のヤマト政権との関係を保ちつつ、百済など朝鮮半島との対外交渉の場面において重要な役割を果たした首長層であったと考えられます。 |
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土器出土状況写真
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蟾蜍形飾金具写真(1の最大横幅8.3cm)
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蟾蜍形飾金具実測図
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