私たちの博物館は、設立後4年間を経て内部組織は定着したかの感があります。しかし、大学移転を目前にしているため、他の大学博物館とは大幅に異なった様々な問題点を抱えています。ここでは、この点を少し掘り下げてご紹介しましょう。
     2002年度公開展示の様子
        市立少年科学文化会館
 最大の問題点は、専用の建物が無く、すべてが仮住まいの状態にあり、移転完了までこの状態が改善される見込みが無いことです。教員は大部屋に雑居しており、研究室としては悲惨な状態にあります。名目的な館長室は存在しますが、実質は教員が日常的に使用する会議室と助手の研究室とになっています。常設の展示室は無いといってよい状態で、講堂のロビーの一隅をかろうじてそれに見立てて使用しています。当然ながら博物館独自の資料の保管スペースも無いに等しい状態です。
 この現状で、博物館としての機能を発揮するために、公開展示のために市立の博物館のスペースを借りるなど、専任教員が一致団結して様々な工夫をしています。

五十周年記念講堂
研究室
 九大博物館には専用の建物がまだありません。教員室は工学部図書館・食堂の裏側、展示室は50周年記念講堂のロビーの一郭、事務室は理学部等事務部の隅、といずれも間借り状態です。収蔵施設はありません。新キャンパス内に博物館建物建設予定地はありますが、建設資金のめどはまだ立っていません。このままでは移転の進行につれ、博物館に収蔵予定の標本・資料類が行き場を失い、旧キャンパスに取り残され、それらの保管・管理に重大な支障が生じる危険性があります。移転までの暫定的な収蔵施設の確保が緊急の課題となっています。

こうなるのが理想ですが
足の踏み場もありません
床から天井まで標本が・・・
貴重な標本に危機迫る!
2004年台風二十号の被害で倒壊寸前
研究スペースにも標本が

 新キャンパスには、移転第一陣(工学系の一部)が入る建物はすでに建設されており、来年度の引越しに向けて着々と準備が進められていますが、引越し時に博物館に移管すべき資料についての各部局での議論などは、ほとんどなされていないのが現状です。その一方で、新キャンパスでの博物館の建設が、移転の終末期になりそうな雰囲気であるにもかかわらず、それ以前の引越しに際して相当大掛かりな資料の博物館での保管を希望する話が個別に持ち込まれています。もちろん現状では、博物館には保管場所はないので、移転第一陣が出て行った後の空き家をとりあえずその目的で使用することになりますが、簡単には空き家が確保できない事情があります。それは博物館とは別のキャンパスに存在する旧教養部に相当する世帯が、敷地の売却時期との兼ね合いで、一時的に移転第一陣の空き家に引っ越して来ざるを得ない状況が予測されるためです。ただですら貴重な資料の散逸を警戒しなければならない移転時に、混乱の上乗せがあり、博物館としてはその対応に苦慮しています。

骨格標本 人骨標本 考古資料
昆虫標本 植物標本(金平コレクション)


 移転先では、総合研究博物館の建物はキャンパスの最も目立つ位置に建てられる青写真が描かれています。まったく新しい専用の建物を基本構想の段階から立ち上げて、しかもキャンパスの一等地に建設できるというのは願っても無いことです。しかし、法人化後の国立大学には、博物館建設の資金のめどは当面無いと考えるのが妥当ですから、建設資金の確保が大問題となります。私たちは、博物館に大学の地域社会に対する顔としての役割をもたせることで、この問題を解決することを模索しています。昨今、国立大学には目に見える形で社会貢献をすることが強く要求されています。その目に見えるという言葉通りの場所と機能を博物館が持ち、大学と市民社会の結節点としての役割を総合研究博物館の役割に付加することにより、社会の可能な限り多くの階層からの支援を得、新しいタイプの大学博物館を建設するため、館の職員一同組織の改変を含めてその実現に日々努力しています。


作成者:九州大学総合研究博物館 村江 達士
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