■金関の渡来説■

 佐賀県の三津永田遺跡や山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨が、高顔・高身長という、それまでの縄文人骨では見られなかった特徴を持っていたことなどから、金関丈夫は、昭和30年頃から以下のような論旨の「渡来説」を提唱した。

 「縄文時代晩期、北九州・山口に朝鮮半島から新しい文化を携えた、高顔、高身長の人々が渡来し、土着の人々と混血することによって、土井ケ浜のような体質を生み出した。しかし、その渡来は一時的であり、その数も在来の縄文人に比してはるかに少数だったために、古墳時代には早くも身長や顔高に逆行現象が起きてしまった。この現象はただし、北九州・山口地方のみに起こったことであって、南朝鮮経由と思われる渡来要素は南九州までは達していない。しかし、東方へはかなり強い進出があったと思われ、特に近畿地方には弥生時代以降も引き続き大陸要素の渡来が持続したことを想像させる。」

 北九州・山口地方弥生人の形質に渡来人の遺伝的影響を想定し、彼ら渡来人が日本人の形成に重要な役割を果たしたことを示唆するこの説は、その後、多方面にわたる研究によって裏付けられ、現在の日本人起源論の根幹をなすに至っている。


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