■渡来人はどこからきたか■

 渡来人のルーツについてはバイカル、沿海州、山東周辺、江南など、金関以降もさまざまな候補地があがっている。たしかに、北アジアから中国の華北、東北部、朝鮮半島などからは、北部九州の弥生人と同様の形質をもった古人骨が出土している。その意味では、どの地域も候補地とはなりうるわけである。


 しかし、形質が似ていることと、渡来人がそこからやってきたということは、すぐに結びつくわけではない。人が移住し、形質を変えるほどならば、当然渡来人の文化が在地の文化に何らかの影響を与えたと考えられるからである。


 東アジアの各地の文化で、縄文晩期以降わが国、とくに北部九州に文化的影響を与えた地域といえば、朝鮮半島南部があげられる。この地域からは、稲作農耕とそのための石庖丁などの農具類、各種の工具(石器)、磨製石鏃・石剣、壷形土器、支石墓などさまざまな文化が伝来し、弥生文化のなかに定着していった。最近では、埋葬姿勢までも弥生人と同じものが発見されており、抜歯風習の存在も次第に明らかにされつつある。そして、何よりも、北部九州の弥生人とよく似た人骨が礼安里遺跡などで出土しているのである。


 これらからみると、やはり渡来人の故地は、金関が考えたように朝鮮半島南部ということになろう。

(田中良之)


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