■墓数の変化から見た人口増加率■

 通常、毎年の死者の数は、その母集団の人口規模に比例する。そこで、墓の数が正確にわかり、しかも年代区分も可能な甕棺墓の数の変化を追跡して、その墓を残した弥生人集団の人口変化を探ってみた。


 まず、福岡県下では最大規模の埋葬遺跡である筑紫野市の隈・西小田遺跡で計算すると、弥生時代中期前半には、年率1%前後で人口が増えていたことが明らかになった。検証の地域を広げてみても同様の高い人口増加率が算出された。弥生中期前半に新たな大量渡来があった証拠は無く、この増加は国内での渡来人集団の自然増と解釈するのが合理的であろう。


 こうした高い人口増加率からすれば、弥生〜古墳期の急激な人口増加も十分説明可能であり、大量の渡来人を想定する必要はないと考える。

(中橋孝博)

 隈・西小田遺跡の時期別の甕棺墓数。弥生時代中期に入ると、ほぼ甕棺だけになり、中期中葉にかけて急増する。


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