■渡来人と文化変化■

人類学者「人骨の形質変化からは少なからぬ渡来人が想定される」
考古学者「縄文文化と弥生文化には連続性が認められる」


 たしかに形質は変化するが、大量の渡来人がやって来たにしては、弥生文化は渡来人の故地の文化そのものではない。この問題を矛盾なく説明することができるのだろうか。
 まず、北部九州の弥生人が最も渡来的形質をもつことや、最古段階の農耕集落の分布からみても、渡来の主要な場所は福岡平野を中心とした北部九州であったと考えられる。そして、この地域は、縄文時代の遺跡が少ないことでも知られる。つまり、もともと少ない縄文人の中に渡来人たちはやってきた。


 すでにみてきたように、この地域では弥生時代開始期からずっと人口が増加しているが、これらは少ない縄文人と渡来人が混血した人々であった。したがって、混血でできあがった「渡来的弥生人」の形質は効率よく増加していったと考えられるのである。
 このように、少ない縄文人の中に相応に「少ない渡来人」が加わることで、形質も変化し、文化も渡来文化一色になることはなかったと考えられるのである。

(田中良之)


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