■九州大学の研究者たち■

 「日本人の起源」にかかわる最も重要な論争の一つは、九州大学の人類学者と考古学者の間で行われた。
 金関丈夫が渡来混血説を提唱したとき、日本の考古学界ではこれを全面的に認め、しかも大量の渡来人がやってきたというイメージが一般的になろうとした。


 森貞次郎と岡崎敬は、北部九州の縄文時代から弥生時代へと移行するにあたって、土器をはじめとして文化的に連続することから、大量の渡来人は考えられないと批判し、縄文人の主体性によって稲作文化は受け入れられたと主張した。
 これに対して金関は、縄文時代から連続する文化は女性に関わるものだと指摘し、渡来人は男性が主体で、縄文人の女性と結婚して混血が進んだと反論した。


 この論争は、人骨の形質の変化と文化の変化・連続との関係をめぐるものであり、渡来人の量にも関わる重要なものであった。そして、これらの問題は、こんにちもまだ引き続き議論が行われているのである。


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