金関丈夫
(1897〜1983)

 香川県生まれ。京都帝国大学医学部卒。同解剖学教室助手、助教授、台北帝国大学教授を経てl950年、九州大学医学部教授、1960年退官。医学博士。


 京都大学医学部の助手時代に、清野謙次らに師事して人類学の研究に着手。戦後、九州大学に赴任してからは、主に日本人の起源問題をテーマとして、精力的に西日本各地の遺跡発掘調査を実施した。土井ケ浜遺跡などの人骨研究や古代東アジアに関する広範な研究の蓄積の中から生み出された、いわゆる「金関の渡来説」は、その後の研究進展の中で着実に評価を高め、今日の日本人起源論の主柱となっている。


 金関は、専門の人類学、解剖学はもとより、考古学、民俗学、言語学、あるいは文学や美術にまで至る広範な深い学識、才能の持ち主として知られ、世に「金関学」とも呼ばれる学問体系を織りなして多くの知識人を魅了してきた。その著作は、死後l4年を経た現在も版を重ねている。また、人類学において未解明の課題とされる「骨格形質の遺伝学的研究」のためにと、遺言によって自身と父親の遺骨を九州大学に残した。


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