森貞次郎
(1910〜)

 1910年、福岡県生まれ。国学院大学卒、1934年よリ1970年まで、社会科教師として旧制嘉穂中学校(現在の嘉穂高校)、福岡高校などで教鞭をとる。また、その間、1965年から1971年まで、九州大学文学部講師をつとめる。
 1971年から1981年まで九州産業大学教授。文学博士。


高校教諭として教鞭をとりつつ研究に打ち込み、弥生時代を中心として九州における古代文化研究の基礎を作リ上げた。
 この間、日本考古学協会のプロジェクト「西北九州総合調査特別委員会」の中心メンバーのー人として長崎県原山遺跡、山の寺遺跡などの発掘調査・研究を遂行し、岡崎敬らとともに縄文時代から弥生時代へのうつリかわりのありさまについてあきらかにした。


 縄文文化の在来の要素のなかに、朝鮮半島南部地域の稲作農耕文化の要素が受け入れられ、あたらしい独特の農耕生活文化が確立されてゆくという、森が提唱した基本的なシナリオは、現在でもゆらいでいない。


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